2024年2月26日月曜日

洞窟エントランスのオブジェ⑩

 ~私たちは回復する~...

その言葉が波紋のように広がり、静かな空気に溶け合った。

私の向かいで不思議な動きをしていたホソミさんも、空気と一体化したかと思えば、ぐにゃりと姿を曲げて消えてしまった。


※※※※※※

ここから先は、私が体験した白昼夢のような世界の話です。本当なのか、それとも夢なのか分かりません。ただ、その瞬間、私は確かにそこに存在していた気がします。


まず目に飛び込んできたのは、真昼の太陽の眩しい光。そして、遠くで何かが爆発するような大きな音。花火よりも乱暴で激しい、何かが破裂している音が繰り返し響いていた。

ピントが合うように視界が定まり、自分がどこかの小さな屋上に立っていることが分かった。手すりの近く、見晴らしの良い場所にいた。

隣には若い女性が立っていて、思わずぎょっとした。


私がじっとしていると、その人がこちらに気づいたらしい。遠くの爆発を見ていたが、少しだけ意識を私に向け、つぶやいた。

「あ…そこにいるでしょう?亡くなった人じゃなくて、“今ここにいないだけ”の人…」

「え?あの…私もなぜここにいるのか分からなくて。でも、私はここに存在していますよね?」

自分が幽霊になったのではないかという不安がよぎる。

「見えてるよ、ちゃんと!」

彼女は私を安心させるように、飛び切りの笑顔を見せた。

「あの、大変そうですね。あれ、戦争なんですか?」

ようやく落ち着いて話せるようになり、素直に疑問を口にした。

彼女は一度うつむき、喉を詰まらせるように小さく息を吸ってから答えた。

「分からない。でも、何か取り返しのつかないことが起こったんだと思う。」

その声は静かで穏やかだったが、空気には張り詰めた緊張感が漂った。

「ごめんなさい、ところで…どうしてここに来たの?」

どうして来たんだろう?でも聞けることを聞いておきたい、そう思った。

「あなたは…マリア・パラ・モラレスさんですか?『ある修道院の話』という小説を書いた…」

そう尋ねると、彼女は少し考えるように間を置いてから言った。

「いいえ、今は違う。それは私の名前ではないわ。でも、将来そうなるかもしれない。すべては不確かだから。」

彼女の言葉に返すことができず、私はただ黙っていた。遠くでは相変わらず爆発音が響いている。激しく、破壊的な音だった。

「でも、そんな時が来たらいいな。静かな場所で、感じたことや思ったことを表現できたら…あなたは小説家?」

「いいえ。私は彫金でアクセサリーを作っています。」

「素敵ね!私の指輪も見て。母の形見なの。」

彼女は人差し指にはめた、小さなエメラルド付きの金の指輪を見せた。

「すごく素敵ですね。金がピカピカに磨かれていますね。」

「ええ、大切に作られたものだから、私も丁寧に扱っているの。」

彼女は愛おしそうにその指輪を撫でた。


私も、もっと焦らず丁寧に物を作りたい――そう思った瞬間、ふわりと体が軽くなった。

そして、気づけば宙に浮かんでいた。

彼女は驚き、私の手を掴もうとしたが、私はどんどん高く浮かび、彼女の手は届かない。


「ねえ、まだ言いたいことがあるの!あの爆発のような残虐さが、あなたのような人の心の中に入り込み、壊すことがあるのよ。私には分かる。どうか、あなたの心の温かい火を消さないで!」

彼女は爆発の方向を指さしながら叫んだ。涙を浮かべているように見えた。

私も何か言いたかったが、もう声を出すことができなかった。

私はさらに高く、彼女が小さな点になるまで浮かび、そして見えなくなった。
















2023年12月16日土曜日

洞窟エントランスのオブジェ⑨

 静かな水の反響音が聞こえる中で、噴水の淵に座り時おり天井を見上げて垂れ下がる観葉植物を眺めたりしながら、私たちはその美味しい物を食べ終えた。

ふう、と一息つきホソミさんが立ち上がりパッパッと音を立て膝についていたパンくずを
掃った。そして、あ、と言って今まで座っていた反対側の方へと歩いて行った。

「こっちです、こっち、わーちゃんさん」
嬉しそうに手招きするホソミさんに呼ばれて行ってみると、二階部分と一階部分を繋ぐ
大きな柱に隠れるように大きなオブジェがあった。

これは、巨大な石だろうかそれとも石膏か何かで作られたものだろうか、とにかくとても美しい鮮やかな水色に近い青色の、所々ボコボコとしているけれど、つるつるとしていてまるで発光しているかのように光っている石が白い大きな台に立っている。そして黄金のような、磨かれた真鍮製のようにも見える繊細で小さな四角のような幾何学模様が、その石の所々に覆いかぶさっているのだ。

「こんなのがあるって、私前回来たときは気づきませんでした」
青い石の表面をなぜながらホソミさんは言った。
「この光り方は真鍮ですかね」
私は彫金師という仕事柄そっちの方に目がいった。
「どうなんでしょうかねえ、あ、わーちゃんさんこのオブジェあれにそっくりです。あれ、あれ!」
「こんなのに、何か似ているものがあるんですか?」
「ええ、来るときにバスの中で言った例のゲームですよ。あれの体力回復に使う何かこういう機械みたいなのにそっくりなんです」
「はあ…」いまいちピンとこない私をよそに、
ホソミさんは続けた。
「こういうのが町の所々に備え付けられていて、それこそこういうダンジョン入口のエントランスにもあるんですよ」ニヤッとホソミさんは笑った。

確かにどういう風に作られたのかはわからないが(中に無限に切れないぼんやりとした電球をいれたのか、はたまた不思議な塗料で色を塗ったのか、それとももしかしたら何か本物の石を加工したのか)それは怪しい光がゆらゆら動いているようにも見え、それを見続けていると何だか異世界に迷い込んだような不思議な気持ちになった。

「これを見ていると私も何故かゲームの世界に入ったような気がしてきました」
私がそういうとホソミさんは嬉しそうに言った。
「じゃあ、わーちゃんさん、こうです。『私たちは回復する』」
ホソミさんは石に手をかざしながら、ゆらゆらと不思議な動きで呪文を唱えるように言った。
「何ですかそれ」と少し笑って言うと、ホソミさんはそんなこと気にしないかのように私を促した。
「一番最初にこの機械を使うときにこう言うんです。さあご一緒に」
「私たちは回復する」
そう言いながら、ホソミさんと二人でゆらゆらと不思議な動きをした。







2023年2月16日木曜日

洞窟エントランスのオブジェ⑧

私は促されるままに開かれた本を手にし、そしてさらに差し出されたランチボックスからおかずサンドイッチのほうを一つつまむと、ホソミさんもそれに続いた。

サンドイッチは耳たぶの下がグッとくるほど美味しかった。私たち二人はもくもく食べながら本を覗き込んだ。
ページの内容はこうだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ある修道院の話~テリーヌとブラウニー~」より、睡蓮池テリーヌサンドイッチと抹茶風味グリーンソースのブラウニーサンド

~STORY~
ある修道院は深い森の奥にあり、背の高い木々の隙間から差し込む木漏れ日だけで少しの明かるさを保っている。当然近寄りがたいイメージがあり、
人が集まらないことに頭を悩ませていた。そこで修道院の人たちが考えたのは、その修道院のイメージのお菓子や食べ物を作り皆にふるまうこと。あたりの森は一見暗いイメージだが、よく見ると色鮮やかな睡蓮が浮かぶ神秘的な緑の池があり、ごくまれに森で見つかる明るいグリーンの実は、チョコのような甘い香りを漂わせている。それらをイメージして澄んだ緑のテリーヌと明るいグリーンソースがかかったブラウニーを作った。これら二つの食べ物は瞬く間に修道院近くの村、しまいには遠くの町まで知れ渡り大人気になるのだが…


今回のレシピは、この二つの料理をイメージしたサンドイッチです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と書かれていて、それ以降はサンドイッチの作り方が書かれている。
「ストーリーの紹介は、これで終わりですか?」と気になることを言ってみたら、ホソミさんもそれに同意するかのようにウンウンと頷いた。
「ですよね、気になりますよね短くて。だから私も調べてみたんです。コンピュータで
おお、と私が感嘆の声を漏らすとホソミさんは得意げに言った。
「なんと検索は4件ヒットしました。ひとつは作者名。マリア・パラ・モラレスさんという方、ある修道院の話という小説を書いたことは確かなんですが、そこにテリーヌとブラウニーの話があるのかは不明でした。あると思いたいですが…そもそもこの方は名前からしてスペイン人でしょうが、テリーヌはまだいいとしてブラウニーとは国がちぐはぐな気がします。でもこれが書かれたのは1940年代で割と現代に近いし…」
ホソミさんが少し頭を抱えたので、
「だったら何も情報がないとは言い切れないし、空想は自由ですもんね」と言うと、
ほっとした顔になって続けた。
「ですよね。あ、あとの3件ですが、うち1件は関係のない記事、多分タイトルの言葉に引っ掛っただけでしょう。あとの2件は何と本の評価です。翻訳されているかはわからないけど、古本でどこかにあるんでしょう。かならず探します。それで肝心の評価なんですが、そのうちの一つはただ評価の星だけ。評価は5のうちの3、そしてもう一つは貴重な感想付き評価。まず評価は4、感想は[最初はありがちな話だと思ったが、途中からこんな鬱展開になるとは思わなかった]だそうです」ここまで言うとホソミさんは言い切ったという感じで、ふうっと息をついた。

「鬱展開ですか。テリーヌとブラウニーで、みんながお腹を壊したとか?」
頭が混乱して私が言うと、
「そこなんですよ。まずこの本に違う修道院の話が他にもたくさん書かれていて、これはそのうちのテリーヌとブラウニーという、一つの短編にすぎないのか、それともこのレシピの修道院の話が長編で色々と展開していくのかすらわからないのですが、もし仮にテリーヌとブラウニーという長編が鬱展開するとしたら、どうなっていくんでしょう。私は例えば、村や町の人が修道院自体よりも、この美味しい食べ物にしか興味を示さなくなっていくんじゃないかな?…とか、とにかく空想が捗ります」

うん、と私は頷いたが二人ともこれ以上考えると頭がさらに混乱しそうな感じだった。

私たちは次にブラウニーサンドを食べた。
私は目を丸くして、「とても美味しいです」とだけ言った。

ぷるんとしたグリーンクリームが挟まったそれは、ふわっと心が軽くなるようなさわやかな甘さだった。





2023年2月5日日曜日

洞窟エントランスのオブジェ⑦

 噴水の吹き出し口から水がゆるく持ち上がり揺蕩うさまは、この場所の持つどっちつかずの状況からくる曖昧な雰囲気を表しているかのようだった。

小さな水の音の反響音が聞こえて、時間がゆっくりと流れているようにも感じた。

「もうこの辺りで食べちゃいません?お腹がすいちゃって」
竹製のランチボックスを持ち上げながらホソミさんは言った。
「私もさっきからお腹が鳴りっぱなしで」と頷きながら私が言ったので、
ホソミさんはじゃ食べましょうと噴水の淵に促した。
「水の流れも激しくないし、ちょうどいいですね」と私も言い、並んで座り食べることにした。

ホソミさんは平静を装っていたけど、少しそわそわしているようにも見えた。
開けるのが少し複雑そうな竹製のランチボックスを慣れた手つきで開け、二人の間に置いた。
「こんなので良かったでしょうか?どうしてもこのレシピが作りたくて」

サンドイッチは2種類あった。ホソミさんによると、このサンドイッチのテーマはグリーンなのだそうだ。一つはおかず感覚のサンドイッチ、とても変わっていてパンは普通のパンなのだが、淡いグリーンの澄んだゼリー寄せ風テリーヌが挟んである。テリーヌの中には細かく切った花びらのようなピンクのハムが散らばり、細く割いたチキンと、細かく刻んだクレソンがふわふわ浮いている。

これもホソミさんの説明によると、このテリーヌは睡蓮が浮かぶ池をイメージしているのだそうだ。
あとのもう一つは、濃いブラウンのケーキ生地に、これもまた綺麗なグリーンのクリームがサンドされている。

「これはグリーンソースがかかったチョコブラウニーをイメージしています。グリーンソースといってもクリーム系の甘いソースです。サンドイッチとして挟みやすくするために、テリーヌにも使ったゼラチンが少し入っています。」とホソミさんは言いながら、大きなランチボックスの上蓋ポケットから、手ごろなサイズの分厚い本を取り出した。

「これ、例のサンドイッチの本です。持ってきちゃいました、このレシピはここです」
と言いながらホソミさんは、本に付いている紐の栞が挟まれたページを開いた。











2023年2月3日金曜日

洞窟エントランスのオブジェ⑥

 いざ行かん!とばかりに私たちは洞窟に入った。前はホソミさんで後ろが私。
洞窟といっても本当は二人並んで歩けるほどの道幅なのだけど、道の左右すべての壁にビニールシートが貼っており、うっかり壁に当たろうものなら何が落ちてくるかもわからない緊張感で、私たちはこのようにずんずんと押し進んだのだ。それがいっそう洞窟感を醸し出していた。

洞窟といっても本当は開発途中のショッピングモールなので、すぐに中央の中庭のような広場についた。広場の真ん中に噴水があり噴水を取り囲むように一階、二階、三階とたくさんの店が放射状に取り囲んでいる。吹き抜けになっているので、ここから全ての階を見ることができる。三階は見上げるのに苦労するが…

噴水のそばから見上げる天井はとても高く、ガラス張りのドーム状になっているから、
まるでここだけ建物の外に出る中庭のようにも思える。そういった空想を助けるかのように噴水の周り一体、またそれぞれの階にパキラやゴムの木、マドカヅラなどの観葉植物や、
月桂樹のような背の低い木々、そしてポーチュラカやパンジーなど色鮮やかな花々が植えられている。

勿論、一つ一つの店といっても開発途中で開店はしていなく、まだ店の外装どころか入口の壁と同じくビニールシートが貼られている店も多いため、洞窟感は失われていない。ともすればそれぞれの店の入り口(のように見えるところ)が、個別の小さな洞窟の、ぽっかり空いた口に見えなくもない。

この噴水の広場がたとえば、洞窟の中央部分、急に空が見える吹き抜けのオアシス、なぜならそこにはきれいな水があり緑もある。ここで冒険者たちは潤いを取り戻し、それぞれの洞窟に戦いに行く。つまりここは休憩場所でもあり、すべての入り口の玄関口(エントランス)でもある。そんな風にも確かに空想できるのだ。







2023年1月31日火曜日

洞窟エントランスのオブジェ⑤

 再び私たちは「洞窟のある要塞」に向かって、風がびゅうびゅう吹く中を歩き出した。

前を歩くホソミさんの姿を確認すると、私と同じように片方の腕を顔の前にかざして、
風を防ぐ盾のようにして歩いていた。

丘を降りると風は静かになり、今度は整地されていないボコボコした少し広い道を歩いた。周りには背の高い木々が生い茂り、小さな森のようにも感じた。歩くにつれ道は狭くなり、道の左右には腰の高さくらいの頭を垂れた雑草がこちらに向かって生えていたので、何となくそれを触ったりしながら歩いた。草や樹木の香りと潮の香りが混ざっているような風が緩く吹き抜けた。後ろを振り向くと木や草に隠され、海はもう見えなくなっていた。

とうとう森を抜けると、また少し高い丘の上に要塞はそびえたっていた。

丘といっても今度はもっと小さな丘だったのですぐ入口についた。

あたりを見渡すと、やはりここもまた少し地形が高くなっているので、今通り抜けてきた森越しに海が見えた。まだまだこの辺りは地区全体が開発途中にあるため、地形なども入り組んだりボコボコしていたりするのだ。木が伐採されていない小さな森も沢山ある。

入り口前で立ち止まり「とうとう着きましたねぇ」とホソミさんが嬉しそうに言ったので、
私もなんだかわくわくしてきた。








2022年9月20日火曜日

洞窟エントランスのオブジェ④

 間もなくふもとの停留所にバスは着き、私たちは歩き出した。
何となく二人で会話をしたけれど、お互い歩くことに集中していた。

鋪装されていないぼこぼこした道を歩いていたが、やがて草が生い茂った低い丘のような場所にたどり着いた。この丘を越えると、例の開発途中のショッピングモールにつくらしい。

生い茂った草は、想像していた背の高い葦とまではいかないが、ごうごうと風になびいていて如何にも冒険の始まりといったイメージ通りだった。

丘の一番高いところに行くと港町と海が一望できた。
さすがに私も何か言いたくなって、
「冒険の道のりって感じですね」といったら、
「ええ、しかもすごい風ですね」と長い髪を草と同じくらいに風になびかせたホソミさんが言った。

「髪、縛ってくればよかったです。家では一つにまとめていたので、なんだか開放したくて」
と言いながら困ったように遠くの海を眺めていたが、私には髪の長い勇者が勇ましく立っているようにみえた。