2021年2月8日月曜日

空のルアー⑦

 
「それから20年ものあいだ、休みになれば彼と一緒に釣りへ行った。彼もわしの事を気に入ってくれたのかな。家族ぐるみで仲良くなってね、当時まだ10代だった息子と3人でもよく釣りに行ったな。車の運転はわしがしてどこへでも行った。楽しかったなぁ」
おじいさんは懐かしそうに目を細めた。

「彼と釣りをした最後の年、彼ももう40をとうに過ぎていた。私生活でも色々あったのかな。でも彼はそういった話は全くと言っていいほどしなかった。だから彼の事は、わしは何にも知らなかった。とにかくあの年彼は何となく元気がないような、覇気がないような不思議な感じだったな。いつもとかわらず明るく振舞っていたけどね」

「何かあったんですかね?」かめくんが思わず聞いた。

「さあなあ…本当に彼は何も話してくれなかったから、今でも分からずじまいだ。わしが彼について知っているのは、当時よく釣り場で会った彼の親せきが一人いるくらいだ。彼の叔父だったかな。たまに彼も一緒に釣りをしていたけれどね」

私はなぜか急に窮屈な普段の生活の話など全くせず、ただひたすら楽しそうに釣りをする彼らの姿が目に浮かんだ。釣りの楽しさってそういう所もあるのかな。などと考えた。

「とにかくあの最後の年は、わしも彼も全く魚が釣れなかった」




空のルアー⑥

 
「そうしたら今度はまあ、わしの怒りをよそに人懐こい笑顔で、『おじさん』って、そんな風によばれたんだよ彼におじさんおじさん。ってね。それでおじさん。本当は外道はすぐリリースするものだけど、その魚はそのままにしていたらやがて腐ってハエがたかるから、ごみと一緒に捨ててあげたらいいんですよ。それが釣り人のマナーです。それに干からびた魚を海に捨ててもしばらく浮かんだままだし、やはり腐って魚にも海にも良くないですよって。」

それを聞いて私たちは、「なるほど」と納得の声を上げた。

私はその青年に対してムカッとしてしまったことを少し後悔した。

「なぁ、それでわしも大した青年だと感心してしまって、それに彼は釣りもうまくてなあ。今日はここに行けば釣れる。このエサを使えば、ここに投げればといった感じで、機転が利くんだな。判断のスピードは釣りに必要みたいだ。わしはそのあたり苦手でな、タイミングが中々掴めなかった。だからだろうか、彼に随分心酔したなあ。どこへいくにも一緒に付いていったよ」









空のルアー⑤

 
「うん、わしもそうやってなんだこれはと、その魚を観察していたんだよ。忘れもしない初めて釣りをしようと見よう見まねで道具をそろえて堤防にいったときのことだ。もう30年も前の話だ。」おじいさんはその時を思い出すかのように、ジェスチャーで干からびた魚を覗き込むふりをした。

「そうしたら、その様子を当時のわしより20くらい若い20代前半くらいの青年にみられてね。どうしたんですかって声をかけられたんだよ」

「ほう」かめくんの少し間の抜けた返事におじいさんは少し気が緩んだ感じになって、
「すまんなぁ退屈だな。こんなじいさんのはなし」といったので、
「いいえ。気になりますその話」かめくんは首を振ると確信に満ちた声で言った。

「うん、だからわしは正直にこの魚が気になってずっと観察をしていたんだといった。そしたら青年は驚いた顔で、その魚は外道と言って釣り人が狙っていた魚じゃないんで、おそらくそこに捨てられたんです。とさも当たり前のように言ったんだ。」

「その日釣りを始めたわしは初めての事だったから、すごくその魚が可哀想になってしまってそのまま海に帰してしまったんだよ。干からびているのに」
かめくんと私はおじいさんの気持ちがわかるから同意するように頷いた。

「青年はええっと驚いてどうしたんですか?なぜ海に捨てるんです?と聞いてきたから、またわしは素直に、可哀想だから海に帰したといった。そしたら青年が笑って面白い人ですねと大きな声でいったんだよ」

私はその話を聞いて「面白いですかね?それ」と素直におじいさんにいってしまった。

おじいさんは私に同じだというような感じで指をさし、
「わしもいったんだよ青年に、面白い?ではどうすればいいんだって。少し腹が立っていたのかもな。人間の安い同情心を笑われた気がして」




空のルアー④

 

「答えなぁ…答えと言やぁ。昔堤防に行ったら、からからに干からびた細長い魚が打ち捨てられていたんだよ。これは後から知ったんだが、だれか心無い釣り人が、狙っていた本命の魚じゃないってんで海に逃がさず堤防に捨てたものだったんだ。」

おじいさんは店内に置かれた椅子に腰かけながら言った。
「なぁ君たちならそんな干からびた魚をどうする?」

干からびた魚… 干された魚なら美味しそうと思うはずだが、本命じゃないから捨てられたとなると途端にかわいそうに感じるかもなぁ…と私はため息をついた。

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、かめくんも自分の気持ちを整理するかのように「ふむ」と喉の奥から小さな相槌のような音を出した。

「正直、僕なら気が付かないかもしれません。けれどもし、それがそんな理由で捨てられたとその時見て知ったとしたら、生きている可能性は極めて低いですが、万が一生きていたらすぐに逃がすか、そうでなくても土に埋めてあげたくなるかもしれません。それもすごく人間の勝手だなあとは思うけれど」
と言いながらかめくんが私を見たので、

「私も、いや私なら見つけてしまったら可哀想と思いながらもそれがどうしてそうなったのか、またそのままにするとどうなるのか少しの間死んだ魚を観察してしまうかもしれません。迷惑な話かもしれないけれど」とおじいさんに言った。